☆ 淮南子 ~2 つづき~ ☆
さて,一日遅れましたが,
「人間萬事塞翁馬」について,私の感じたとことについてここに記します。
この言葉は,
「故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。」とあるように,
「このように,福は禍と為り、禍は福と為るという変化は深淵で、
見極める事はできない」のであるとしている。
なるほど,人生には,よいこともあり,悪いこともありますが,
これが逆にその後,災いの元となり,よいことの元にもなる
ということはそのとおりですね。
ただ,私は,社会科学を勉強した人間ですから,
ずっと,このように考えてきました。
それは …
この世に自分の身の回りで起きる出来事には,
そもそも,“幸”も“不幸”もないということです。
どういうことかというと,
この場合,下記のような①から④の事実はいずれも,
①は,「老人が飼っていた馬が逃げた」という事実であり,
②は,「逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきた。」という事実であり,
③は,「この老人の息子が,その馬から落ちて足の骨を折った。」という事実であり,
④は,「老人の息子は戦いに行かずに済み,命を失うことはなかった。」という事実だけです。
ただ,それだけなのです。
一般的な人は,これらの事実について
①③については,“不幸”と評価をし,
②④については,“幸”と評価をします。
この話の中では,「近塞上之人、有善術者。」が主人公ですから,
占いが得意な老人ということで,先々のことを予想しながら一般大衆に語ったのでしょう。
ただ,一般の人でも(すなわち占いができなくとも),
同じようなことは考えることができるのです。
すなわち,最初に述べたように
この世に自分の身の回りで起きる出来事には,
そもそも,“幸”とか“不幸”という,色はついていないのです。
“幸”とか“不幸”という色をつけるのは,
それを受け止めた自分自身なのです。
自分自身の「めがね」すなわち「こころ」を通じて,
これらの評価を下しているに過ぎないのです。
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私がこの故事成語から得た感想は,
そもそも,世の中に起きる出来事に色がついてなく,
「幸や不幸」という評価を下すのが自分自身である以上,
一見マイナスに評価をすべき事柄に接したときでも,
その出来事に対して,プラスの評価を下してあげられる「心」
を作り上げればよいということです。
この「心」は,「精神」と言い換えても構いません。
物事に対する評価を下すのは,我々自身である以上,
「現在の自分自身の能力(精神)」を超えて,
物事に対して評価を下すことはできません。
すなわち,私達の身の回りに起きる出来事は,
私達の精神,感受性によって「良くも,悪しく」も
感じることができるのです。
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自分自身を日々高めることにより,
身の回りに起きる出来事に対する反応の仕方が変わり,
プラスに評価できるようになれば,
自分自身の心を安定させることになり,
人生をより豊かにすることができるのです。
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貴方は,身の回りで起きる出来事にそのまま反応していませんか。
「嫌だな」「不幸だな」と感じたときに,
一歩踏みとどまって,自分自身にプラスに働くように
物事を評価してみましょう!
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